base [CTF] 基地。CTFでflagを置いて守るための場所. 熟睡しているか起きているかの中間。うつらうつらの状態。, このように並べてみるとよく分かりますが、α波は緊張することなくリラックスしている状態なのです。, ヒーリング音楽を聴くとα波が出るそうですが、ゲームの場合もα波が優位に出て集中していることが分かります。, しかも、本来ならゲームを終えるとα波が低下して、脳波のパターンは健常者の脳波に戻るのですが、長時間ゲームを続ける習慣のある人は、α波が優位のままでゲーム脳になったままなのです。, ゲームを続けるのが習慣になってしまった人は、ゲームを始めるとα波が出始めますが、ゲームを止めてもすぐにはβ波は優位になりません。, α波とβ波のバランスはα波優位のままで、前頭前野のβ波は低下したままで推移しているのです。, つまり、ゲーム脳の人は、ゲームを終えても認知症患者と同じような脳波を出しているのです。, このように、ゲームを続けている人の脳波を調べて脳波の特徴を掴み、認知症の人の脳波と比べることで比較をしたのは、日本大学の森昭雄教授でした。, このオリジナルの脳波計を作って手軽に脳波を測定して行ったことから、ゲーム好きの人と認知症の人との類似点を発見したのです。, それを自身が出版した「ゲーム脳の恐怖」の著書の中で報告し、この脳波を出す脳のことを「ゲーム脳」と名付けたのです。, ゲームに夢中な時の脳波は、認知症を発症した時と同様に前頭前野のβ波が低くなる傾向があります。, この前頭前野の活動は、脳の司令塔とも言われているほど人間にとって重要な働きがあるのです。, つまり、相手の様子を見て相手の気持ちを推測したリ、ものを覚えようという気持ち、やる気や挑戦する気持ちを引き出します。, また、やってはいけないことをしないという気持ち、我慢する気持ちなど、その人の人格や人間性を形成する大切な脳なのです。, このように、前頭前野のβ波が少ないと、これらの人間的な感情が欠如する可能性があるのです。, また、ゲームの種類によりますが、ゲームに夢中になるとその画像が鮮明に脳に焼き付くので、現実の風景を見ていてもそれがゲームの中のシーンと重なってしまい、頭の中に妄想のように認識されることもあります。, 街を歩いていても、ビルの建物を見ても、カラフルな歩道を見ても、全ての光景がゲームのシーンに見えてくるのです。, 個室のトイレに入って鍵を閉めると、脱出ゲームの続きのように勘違いして、脱出口を探したりするのです。, 単なる錯覚で止まればよいのですが、それに気付かずに思い込んでしまうところに、ゲーム脳がヤバいと思われるところです。, ゲーム脳になってしまうと、ゲームにのめり込んでしまうために、精神だけでなく身体にも大きな影響を与えるのです。, パッドコントローラーをずっと浸かっていると、親指に負担がかかりしびれや痛みが出てきたり、酷くなると水ぶくれも発症します。, コンソールを使い続けると、皮膚疾患を引き起こして、手掌汗腺炎で痛みが出る時もあります。, 体調が悪い時にゲームに長時間熱中し過ぎると、発作や痙攣を引き起こし意識がなくなることもあるのです。, 対戦型の攻撃的なゲームに没頭すると、暴力的な妄想に捕らわれて、攻撃的な行動に走ることもあります。, レストランで注文したが料理がなかなか出てこないと店員にキレたり、人身事故で電車が遅れている時に、駅員に対応が遅いとキレて怒鳴る人など、我慢できなくてすぐに大声で怒鳴る人が増えたようです。, このように、すぐにキレる原因として考えられるのは、脳の前頭前野がうまく働いていないことがあげられます。, この前頭前野は、物事全体を把握して欲望や感情をコントロールする働きをしているのです。, 感情をコントロールできずにすぐにキレるのは、β波が活発に出ていない証拠で、ゲーム脳の状況とよく似ているのです。, ある科学者によると、1日に2時間以上ゲームを続けると、前頭前野が萎縮すると報告しています。, 前頭前野は思考、運動、創造を司る大事な脳で、やる気をつくりだす司令塔とも言えます。, ここが萎縮してβ波の放出が低下していると、何かの拍子に感情のコントロールが乱れて、怒りを抑えきれずにキレやすくなるのです。, 有名な監督がいる実力のある高校の野球部の部員は、地方大会で良い成績を残して、夏の甲子園出場を目指そうと頑張るものです。, しかし、その監督が病気で長期入院が決まり、甲子園には連れて行けないと分かると、監督を慕って頑張っていた選手は無気力状態になってやる気が減退したそうです。, 自分が動けなくなったわけではないのですが、気持ち的に意欲が無くなり、何事にも力が入らないのです。, 自分には何も問題はないのですが、気力が湧き上がらないという状態に陥ることがあるのです。, ゲームに集中している時には、手先と目を活発に動かしますが、それ以外の身体はそれほど動かすことはありません。, ゲームが終了して、満足した時には表情も緩みますが、それ以外では悔しくても淡々としているのです。, ゲームに没頭すればするほど覇気のない無気力な表情になって、時には不気味に思えることもあります。, 声を出して笑いながらゲームを続けている人は、横から見ていても気持ちが悪いものです。, この習慣が続くと、日常生活の様子や雰囲気も忘れてしまい、仲間やご近所の人との会話も減っていきます。, たまに、知り合いの人と道ですれ違っても、ペコっと頭を下げるだけで、世間話などは全くしないはずです。, だから、会話で笑うこともほとんどなくなり、たまにTVで芸能番組をみて笑うくらいです。, つまり、コミュニケーション能力が低下していると、他人を笑わせることもできなくなって、つまらない会話には参加できなくなるのです。, 周りが見えなくなっていてもいっこうに構わず、モクモクとゲームをこなしているのです。, 仕事でも、やるべきことがあっても、集中力がなくなって思い通りには行かなくなるのです。, ゲームをしている時も、ゲームが終わっていても、ゲーム脳の人の脳波はβ波が低下しているのです。, それと、ゲームを夢中でしていると、脳のごく一部だけを働かせておけばよいので、脳を使っていろいろと考える必要や記憶する機会もほぼなくなるので、脳の機能も低下していくのです。, いわゆるゲーム脳と言われるような人は、場所を変えて行動したり仲間と行動したりする機会が減っています。, たまに一緒に行動していても、いつも頭の中はゲームのシーンが駆け巡り、いかに相手を倒すか、どのアイテムを使って戦うかなど、現実とは違った世界に留まっているようです。, 現実の話題を振られても、曖昧な返事を返してしまうので、仲間とのコミュニケーション能力は低下しているのです。, ゲーム脳で最も心配なのは、ゲーム中の脳は健常者の脳と比べると、前頭前野の働きが低下していることです。, 本来、前頭前野が活発に働いて、相手の気持ちを汲み取ったり、ものを覚えるためにやる気を起こさせたり、正しいことと悪いことを区別して悪いことをしてはいけないという気持ちを起こさせたりと、理性を持つことができるのです。, しかし、この大事な前頭前野の働きが低下して、β波の出現が抑えられてくるとα波が優位になって、理性がなくなって来るのです。, ゲーム脳の人の特徴は、自分の行動ややったことに対して認めてもらうことが大好きです。, それは、自分が非常に素直な性格でもあるので、嘘をついて相手を騙すことができないのです。, α波はストレス発散にも効果があるようで、それぐらい落ち着いた心境になっているのです。, ゲーム脳の人は、ゲームをしていない時には緊張感がなく、頭が眠っているようにボーっとする時が多いので、この状態で仕事をしていると、うっかりミスも多くなります。, また、ゲームに熱中してしまい、睡眠時間も少ない人も多いことから、うっかりミスも増える傾向にあります。, 森教授が2002年に著作した「ゲーム脳の恐怖」の中で、ゲーム脳についての定義と、ゲーム脳に関する特徴をまとめています。, この著書によると、ゲームに夢中になっている人の脳波を測定してみると、認知症の患者の脳波と同じような傾向がみられたようです。, その根拠とは、 ①認知症と同じ脳波を持っていること、 ゲーム(英: game)は、勝負、または勝敗を決めること。守るべきルールがあり、環境または他人との相互作用を元に行なわれる活動である。日本語へ取り入れられた際にプレイ(英: play)と混同され、国内では和製英語として「遊び」や「遊戯」の意味で使用されることもある。そのため本項では「遊び」にも重点を置いた解説をする。, 哲学者のウィトゲンシュタインは、著書『哲学探究』のなかで、カテゴリ化に関する議論のなかでゲームの定義を議論した。おそらくゲームを定義づけようとした最初の議論と考えられている。ゲームと呼ばれているものは、ルールや競争を共通の要素として持っている。しかし、彼は、どのようにゲームを定義づけようとしても、必ずその定義から外れてしまうような「ゲーム(とみなされる活動)」があると述べ、しかしそれでもなお、ゲームと呼ばれるものには一定の類似点(家族的類似性)によってゆるやかにまとまっていると主張した。, フランス人社会学者のロジェ・カイヨワは、著書『遊びと人間』("Les jeux et les hommes")のなかで、以下のようにゲームを定義した。すなわち、楽しみのために行なわれること、時間と場所が区切られていること、勝敗が不確定であること、何かを生産するものではないこと、ルールに支配されること、現実の活動から意識的に切り離されていることをゲームの参加者が知っていることである。また彼は、playに対応するパイディアPaidea(娯楽)の類型に対するものとして、ルール的制約をもちgameに対応するルドゥスLudus(闘技)を提案した。, ゲームデザイナーのグレッグ・コスティキャンは雑誌Interactive Fantasyの記事 'I Have No Words & I Must Design' において、例えば『シムシティ』の作者ウィル・ライトが自分の作品を(「ゲーム」ではなく)「toy(おもちゃ)」であるとしている言葉などを引きつつ、ゲームとは「充分な情報の下に行われた意思決定 (decision making)をもって、プレイヤーが与えられた資源を管理 (managing resources)しつつ自ら参加し、立ちはだかる障害物を乗り越えて目標 (goals)達成を目指す」ものであるとした[3]。.