アーカイブス2020年11月号は「田中将大 伝説の24連勝、楽天 球団初の日本一」. Sponichi Annexに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。すべての著作権はスポーツニッポン新聞社と情報提供者に帰属します。. こうなってくるとこちらも投手陣に頑張ってもらいたいところだが、2回に陽にタイムリーを打たれるなど2点を失う。 3回にも亀井のソロホームラン、大城のタイムリーで2点、4回にも若林のソロ、坂本のタイムリーで2点を奪われ早くも0-6. 1998年の千葉ロッテマリーンズは、近藤昭仁監督の2年目のシーズンであり、プロ野球史上最長の18連敗を喫したシーズンとして知られている。 1998年の千葉ロッテマリーンズ(1998ねんのちばロッテマリーンズ)では、1998年の千葉ロッテマリーンズにおける動向をまとめる。. 翌6/13以降、ロッテは、突如として、長い長い連敗のトンネルに入り込んでしまった。 ロッテの連敗は、プロ野球ワースト記録となる「18」まで伸びてしまった が、 以下、まずは ロッテ18連敗の軌跡 について、記しておく事とする。 Copyright © SPORTS NIPPON NEWSPAPERS. 1998年の千葉ロッテマリーンズ(1998ねんのちばロッテマリーンズ)では、1998年の千葉ロッテマリーンズにおける動向をまとめる。, 1998年の千葉ロッテマリーンズは、近藤昭仁監督の2年目のシーズンであり、プロ野球史上最長の18連敗を喫したシーズンとして知られている。, 4月は小宮山悟が4勝・黒木知宏が3勝を挙げ、11勝5敗と貯金を6つ作る上々のスタートを切った。しかし、前年から離脱している成本年秀に加えて、ストッパー・河本育之が4月下旬に怪我で離脱、前年セットアッパーとして活躍した吉田篤史も一軍戦線から離脱してしまい、新加入のスコット・デービソンも故障が発覚し解雇されるなど中継ぎ投手陣が手薄となると、5月を大きく負け越した。河本離脱後、ストッパーを固定できない日々が続き、6月13日のオリックス戦、小宮山が5回途中5失点の大乱調でこの試合を落とすと、ここからチームは長いトンネルに突入して行く。5連敗で迎えた20日日本ハム戦では、前日19日の近鉄戦に先発、6回2失点で敗戦投手となっていた黒木をストッパーに転向させたが、このカードで登板した2試合全てで救援に失敗[2]。, さらに2試合後の西武戦でも決勝点を与え、連敗がチーム20年ぶりに10まで伸びたところで近藤監督はストッパー・黒木に見切りをつけ、ようやく緊急補強としてブライアン・ウォーレンの加入が決まった。30日の西武戦は延長戦の末引き分けには持ち込んだが連敗は止まらず、14連敗で迎えた7月4日のダイエー戦の前には千葉神社の宮司によってお祓いが執り行われたが、5時間9分の熱闘の末敗戦[3]。5日の同カードにも敗れ、当時のプロ野球タイ記録(1970年のヤクルトが記録、2016年現在もセ・リーグ記録。パ・リーグ記録は1955年の大映ユニオンズ、1969年の南海ホークス、1978年のロッテの15連敗)に並ぶ16連敗となったが、それでも試合後には200人のファンが選手出入り口に集い1時間チームのために声援を送り、それを聞いた近藤監督は一人涙した[4]。, そして、のちに「七夕の悲劇」として語り継がれることとなる7日のオリックス戦を迎える。この試合はパ・リーグの当時5位と6位の対戦であったが、フジテレビ系列で生中継されるほどの注目を集めた[5]。黒木が先発に復帰し力投したが、当日の神戸市の高温多湿の天候から試合中に脱水症状に見舞われる。しかし前述の通り苦しいロッテの台所事情もあり、黒木は症状を明かさないまま投げ続けた。2点リードを保ったまま9回裏2死一塁の勝利目前まで漕ぎ着けたが、ハービー・プリアムに左翼ポール際に同点2ランホームランを打たれて追いつかれる。黒木はマウンドに膝から崩れ落ち、ナインが集まっても立ち上がることはできなかった[6][7]。その後延長12回裏、3番手・近藤芳久が広永益隆にサヨナラ満塁本塁打を打たれ、プロ野球記録を更新する17連敗目を喫した[8]。, 結局この連敗が止まったのはその2試合後の9日に行われた同カード(この試合もTBS系列で生中継され、中継後には連敗を脱出した旨テロップが報じられた)で、小宮山が被安打14・6失点しながらも完投し、9-6で勝利を収めた。連敗は18で止まり、皮肉にも小宮山から始まり小宮山で終わった[3]。その後河本らが1軍に復帰するとチーム状態は好転した。18連敗後には貯金を10個積み重ねたが、連敗が重くのしかかり最下位のままでシーズンを終えた。チーム成績の責任を取り、近藤監督はこのシーズンをもって退任した。連敗中苦しんだ黒木は自身初のオールスターゲーム出場、最多勝、最高勝率、防御率リーグ2位と気を吐いた。, ヤクルト16連敗で注目浴びたロッテ18連敗の証言「このまま永久に続くんじゃないかと…」, 【7月7日】1998年(平10) あと1球が悲劇に…ジョニーが泣き崩れた日本新記録, 【7月9日】1998年(平10) ロッテ18連敗止まる 近藤昭仁監督「これから20連勝や」, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=1998年の千葉ロッテマリーンズ&oldid=77026955. ヤクルトは、本日(5/30)の広島戦(神宮)に0-13で敗れ、これで広島に3タテを食らい、, 思い出すのは、何と言っても、1998(平成10)年の千葉ロッテマリーンズの18連敗である。, あの時のロッテは、突如、地獄のような泥沼にハマリ、プロ野球ワースト記録となる、18連敗を喫してしまった。, 今回は、そのロッテ18連敗の軌跡を振り返り、如何にして、ロッテが泥沼を脱したのか、, <1998(平成10)年の千葉ロッテマリーンズ…近藤昭仁監督体制2年目、前年(1997年)最下位からの脱出と、上位進出を目指す>, 1993(平成5)~1995(平成7)年の3年間、横浜ベイスターズの監督を務めていた近藤昭仁が、新たにロッテの監督に就任したものの、, 残念ながら57勝76敗2分 勝率.429で、優勝した西武ライオンズに19.5ゲーム差を付けられる最下位に終わっていた。, 翌1998(平成10)年、近藤昭仁監督体制の2年目のロッテは、最下位からの脱出、そして、上位進出を目指していた。, 当時のロッテの中心メンバーは、Wエースの小宮山悟と、「ジョニー」こと黒木知宏で、2人が投手陣を引っ張り、リリーフエースの河本育之も、後ろに控えていた。, 打線では、3年振りにロッテに復帰した、フリオ・フランコが中心となり、他には小坂誠、堀幸一、初芝清、諸積兼司、立川隆史らが、脇を固めていた。, <ロッテ、エース・黒木知宏の快投で、序盤は好調をキープ!!「ビッグバン打線」の日本ハムを追い掛ける>, 特に、「ジョニー」こと黒木知宏は、開幕から絶好調で、エースとしてロッテ投手陣を引っ張った。, なお、この年(1998年)のパ・リーグは、上田利治監督率いる日本ハムファイターズが、, 前年(1997年)まで、首位争いの常連だった西武やオリックスが低迷する中、日本ハムは快調に首位を走っていたが、, 6月12日、ロッテのエース・黒木は、完投勝利を挙げ、パ・リーグのトップタイに並ぶ6勝目を挙げた。, 黒木は、ストレートの急速は140km台後半を連発する、絶好調のピッチングだったが、, しかし、この時の勝利を最後に、ロッテが長い連敗の泥沼に入り込んでしまうとは、一体、誰が予想したであろうか?, 翌6/13以降、ロッテは、突如として、長い長い連敗のトンネルに入り込んでしまった。, 【ヤクルト14連敗】今、振り返る…1998年のロッテ18連敗【頑張れ!!スワローズ】 | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~, ちょっとした綻びが、どんどん大きくなり、気が付けば負け続けてしまった、という状況であった。, そして、徒(いたずら)に連敗を重ねるロッテに対し、ファンの苛立ちもどんどん大きくなって行き、, しかし、これはプロ野球の体制が整っていない、黎明期のお話であり、長期1シーズン制が行われたわけではなく、, 法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。, 6/30 ▲ ロ5-5西 7回まで2点リードも八回に薮田がつかまりドロー。中村投手コーチが更迭される。, <1997(平成9)年以前のプロ野球連敗記録は、大東京軍(1936年)とヤクルト(1970年)の「16連敗」>, 結局、ヤクルトは長期1シーズン制ではワースト記録となる「16連敗」で、シーズン通算でも33勝92敗5分 勝率.264、優勝した巨人との差は45.5ゲーム差という、記録的な大惨敗に終わった。, <連敗地獄に苦しむ1998(平成10)年ロッテに、ファンが一致団結して大声援!!「マリサポ」に注目が集まる>, 当初、長く続く連敗に苛立っていたロッテファンも、連敗が続くにつれて、各球場で一致団結して、マリーンズに大声援を送るようになった。, <7/7「七夕の悲劇」…エース・黒木が、9回2死、勝利目前で、プリアムにまさかの同点2ランを浴びる…>, <7/9、エース・小宮山の完投勝利で、ロッテが遂に「18連敗」でストップ!!近藤監督の「20連勝宣言」も飛び出す>, 「エースなら、あんな姿を見せてはいけない。試合は終わってないのに、戦いを放棄するな」, その2日後(7/9)の試合で完投勝利を挙げ、遂にロッテの「18連敗」をストップさせてみせた。, <各球団の連敗記録と、2年前(2017年)のヤクルト14連敗…明けない夜は無い!!>, あの時のように、今こそヤクルトファンは一致結束して、スワローズを応援して欲しい、という気持ちからである。. 千葉ロッテマリーンズの90年代を語る時に避けては通れないのが98年の18連敗となる。6月13日のオリックス戦(当時千葉マリン)から始まり、7月8日のオリックス戦(当時GS神戸)まで続いた。ちなにこの期間、雨天中止が1度(6月14日の千葉マリンでのオリックス戦)。引き分けが1度ある(6月30日の福井での西武戦)。当時をよく知る男がマリーンズにはいる。清水将海一軍バッテリーコーチだ。, 「オリックス戦で始まり、オリックス戦で終わった。捕手としてもいつも打たれるのではないかとビクビクしながら投手をリードしていた。恐怖感があった。負のオーラがあって、勝てる気がしなかった。勝っていても8回、9回で逆転されるのではないかと感じてしまっていた」, 清水は右肩を故障し、この年の一軍初出場はチームが4連敗で迎えた6月19日の日本ハム戦(東京D)だった。この試合で忘れられないのはスタメン出場の2打席目で顔面に死球を食らい、途中交代をしたことだ。顔は大きく腫れていたが抹消されることなく一軍ベンチ入りを続けた。チームの窮地に弱音は吐かなかった。今でも印象深いのはファンの応援だった。連敗が続く中で必死の応援は続いた。, 「ファンの応援が凄かった。正直、暴動を起こされてもおかしくないような試合展開の日々。それでも、いつも『頑張れよ』、『今日は期待しているよ』と励まし歌い続けてくれた。ファンとの一体感を強く感じた」, あの頃のチームメートと再会をすると気付けば当時の話をしてしまう。それぐらい記憶に深く刻まれている。ただ、それは「恥ずかしい事。負け続けるのは悔しいし屈辱的だった」と語気を強める。そして「一人一人の意識が低かったと思う」と反省する。, ファンの間で語り継がれるのが七夕の悲劇。16連敗で迎えた7月7日オリックス戦(GS神戸)だ。2点リードの9回二死一塁でこの日、そこまで無安打のハービー・プリアム外野手に同点2ランを打たれ追いつかれる。その瞬間を清水はベンチで見ていた。追い込んで投じた先発黒木知宏投手の139球目。あと1球だった。連敗を止めて欲しいと誰もが願う中で、ボールはレフトスタンドに吸い込まれていった。打球は無情にもマリーンズファンで埋まるスタンドへと消えていった。そして清水は延長からマスクを被ることになるが、12回にサヨナラ負けを喫する。サヨナラ満塁本塁打。9回二死のあと1ストライクから同点に追いつかれたゲームはあまりにも悲惨な形で幕を閉じる。そしてチームは2日後に連敗を止める。, 「勝つためにもっともっと努力しなくてはいけなかった。つねに意識を高くもってワンプレーを大事にしていかなくてはいけない。あれからずっとそれは思っている。ああいう経験は二度としたくはない。してはいけない。今はコーチとして若い選手に自戒の念を込めて指導をしている。若い子たちにあんな想いは絶対にさせたくないからね」, ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号6091713号)です。, “ロケ行きたくない”にスタッフ唖然……小林麻耶41歳、“テレビ界追放危機”の本当の理由, 《第2子妊娠》自然体の歌姫・浜崎あゆみの恋多き“ハートタトゥー”な人生と知られざる“DV騒動”, 韓国で『鬼滅の刃』ファンが“売国奴”と罵られる理由〈炭治郎の“旭日旗”耳飾りは変更、12月公開へ〉, 「昏睡状態の女性をレイプすることが……」すでに7人を殺害した白石被告が犯行をやめなかった理由, 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