ぜひご参加ください♪, フィリピンについて.何でもOK 食べ物や観光スポット 50歳代ブログの人気ブログランキング、ブログ検索、最新記事表示が大人気のブログ総合サイト。ランキング参加者募集中です(無料)。 - シニア日記ブログ 30代40代の留学というキーワードで検索して辿り着きました。 私はまさしくど真ん中にいる年齢でブログを拝見して励まされました。 また、理想と現実のギャップにリタイアしてしまう方もいると、これまたリアルな話を聞けて自分に渇を入れた次第です。 | 50代おっさん初級ライダー@CRF250Rallyのブログ HONDAのオフロードバイク2018年型CRF250RallyABSのオーナーになりました。インプレ、ツーリングを書いていきます。 生涯初の楽器・アコースティックギターを習い始めました。 海外でおおっぴらに嵐のファンを公言しているアナタ! 普通の部屋みたいな絨毯ひいてある上に、バスタブがあって、脚のスネの半分くらいの低さにあるお湯と水の蛇口だけ。, ホテルによくある、飛散防止のナイロンのカーテンのようなものは無く、バスタブは絨毯に乗ってるだけなので、こぼせない。, 「これ、どうやって入るの?」って、「バスタブの中で、身体にお湯掛けて、洗うだけよ。何か問題?」って、説明になってない。, そればっかりは、わからない、と返したところで、それ以上、聞き出しようがないので、毎日、それで入浴した。, 「日本じゃあこうだった」だの「日本と違う」だのと言って、日本を持ち込みたくなかったので、それも受け入れた。, 私が子供の頃の東京の水道水って、鉄サビ臭いと言うか、口内炎で口の中が出血した時の血の味も、鉄臭いけど、そんなカンジ。, だから、シャンプーも石鹸も、街の雑貨屋みたいな店で買ってきた。たしかに泡は立つけど、泡が薄い。, 帰国の日、ヒースロー空港に集合した他の日本人の人たち。私以外、女子だったので、聞いてみたけれど、確かにバスタブはそんなカンジで、しかも、その鉄分が濃いお湯で、すっかり髪が痛み、色も抜けて、艶のない茶色みたいになったらしい。, 帰国する時、すっかり慣れ親しんだミルクティーのティバッグを買って帰ろうと思ったら、「水が違うから止めておいたほうがいい」と、止められた。, 夏でこれなんだから、冬は相当寒いんだろうから、裸で過ごせるくらいじゃないと、耐えられないんだろうと。, 当時の私は、ヘビースモーカーで、大酒飲みだったので、毎晩のように、ビタービールという黒ビールとラガービールを混ぜたような英国独自のビールを飲んでいました。, キンキンに冷やしたビールをゴクリと飲んで、五臓六腑に染み渡るぜ!なんてことは無く、冷蔵庫の使い方っというか、温度設定が、ぬるい。, 何だか、それでいいじゃん、って慣れていってしまうのですが、夏なのに肌寒い中で、確かに、飲み物をキンキンに冷やすとか、氷を入れるとかの習慣がないんだと理解しました。, すっかり気に入ったビタービールをおみやげに持って帰ろうとしたんだけど、酵母が死んじゃうだろうといった類のことだったと思うんだけれど、紅茶と同様、それは持ち帰っても、がっかりするだけだ、ということだったんだと思う。, 味付けは、ほぼ無く、「じゃがいもってこんな味なのか。ニンジンも。」って、素材丸出しで茹でてあるだけ、みたいな。, 最初のうちは、いちいち洗剤使うので、「何で?」みたいな顔で見られていたのに気づいたので、お湯で流すだけにすることに慣れてしまった。, しょっちゅうミルクティーを飲むので、それと、チョコバーとか、ウエハースみたいな、お菓子を間食するせいなのかも知れない。, 家の中とか学校の中の廊下とか窓際に、常に果物が置いてあって、誰が補充してるんだか、必ず、何か果物が置いてある。, 私はリンゴばかり食ってたけど、話しながら、おもむろに手にとって、かじりながら話す。, 3食ガッツリ。間食なし。ってゆう私には、間食中心で、3食は控えめ、ってゆう食生活には苦戦。。。と思っていたけれど、学校でも、紅茶が常に沸いている状況で、絶えず、ミルクティでお茶しながら間食、となると、なるほど3食は控えめになるはずで。, 朝食は、トーストとジャム、シリアルくらいで、昼食は、学校任せ。夕飯は滅多に作らない。, 学校で私に用意された昼食は、缶詰のオイルサーディンを食パンに塗りたくって挟んだだけのサンドイッチと、リンゴと、その長方形のお菓子。ってゆうカンジ。, 缶詰をあけて油でギトギトの生臭い魚をそのまんまパンに塗りたくっただけのサンドイッチなんて、食えない人いるだろうね。, 私は、一旦気に入れば、飽きるまで、毎日、同じものを食い続ける性分なので、まぁそれで良かったけど、あまりにも食に対する思いが無さ過ぎる。, 街の中心地から逆側の端に、店の見た目が、ほかほか弁当屋みたいな、チャーハンとか焼きそばとかのB級グルメな値段レベルの中華のテイクアウトがあったけど、意地でも利用するもんか、って利用しなかった。, 一切利用しなかったけど、家族が「箸をどう使うのか、目の前で見たい」と言うので、その中華屋の家庭用の箸を借りただけ。洗って返しただけで、代わりになにか注文するとかしなかった。醤油味の軍門に下りそうで怖かったので。, ほぼ毎晩のように、パブに出かけて、フィッシュ・アンド・チップスなる、白身魚のフライとフライドポテト、という揚げ物と揚げ物という不健全極まりないものを食事代わりに食いながら、ビタービールを飲みながら、周囲の人達と歓談する、というカンジだった。, ジェイに頼んで、街の地図に、パブがあるところを全部印をつけてもらって、滞在中、片っ端から通って何サイクルも繰り返し繰り返し通っていた。ジェイが知らなかったパブを発見することの方が多かった。私だって、自宅の近所のスナックなんか知らないからね。でも、小さい街に、そんなにたくさんパブがあった。, 当時、日本の学生には、ビリヤードブームで、ビリヤードのできるバー。プールバーだったり、ビリヤード場が、いくつもあったので、ビリヤードには少し自信があった。, そのパブのビリヤードの主だかセミプロみたいなオッサンに、お金を賭けて勝負を挑み、当然負かされるんだけど、そのオッサンは、それで生計を立てているので、そのパブに行ったら、飲むし、食うし、そのオッサンに挑んで負ける、というのがセット。そのようなパブのお決まりのようなカンジだった。, 球に数字が振ってあるビリヤードの他に、数字が振ってないスヌーカーという、ビリヤードとは似て非なる玉突きゲームも初体験した。, 酔っ払って、ろれつの回らない英語で、未知のゲームについて教わるって、かなり大変。お互い結構酔ってるから、あんまり聞き返せないカンジなので、だいたいわかった、というくらいで、やってみながら覚えた。, プレイを見ながら、飲みながら、食いながら談笑しているわけだけど、私がプレイしている最中に、差別用語が私に向かって飛ぶことも、少なくなかった。, ホントは、テメェ表に出ろ!と言いたいところだったけど、私は、受け入れ家族の一員なので、我慢した。, ただ、調子に乗るんじゃねぇ的な、そんな言葉を浴びた都度、真顔で振り返って、睨みつけるくらいのことはやっといた。, ビタービール大好きなジェイが、在宅中でも、パブに出かける私が、一緒に行く?と目で誘っても、応じなかったのは、こんなことになると知ってたんだと思う。, それはそれで、価値観と言うか、モノの捉え方の相違なので、私は私で思う所あるし、彼らは彼らで東洋人に対して思う所あるわけで。, そういうことも、いろいろ考えながら、それでも懲りずにほぼ毎晩、違うパブに通いながら、飲みながら、食いながら、会話に割り込み、酔っぱらいの会話、汚い単語、汚い言い回し、品がない言葉を吸収した。, 単独でパブに現れて、単独で飲んで、食って、黙って帰る、などという悲しいことは絶対にしたくなかった。, 私から声かけられて、戸惑ったり、あきらかに軽蔑の眼差しで見られたり、あからさまに迷惑そう、とか、むしろ、それが当たり前なカンジで、それもまた、私自身の個として、その店内の空間に、周囲とつながりながら居場所を作り出す、という戦いだった。, あの一家が、開放的で先進的で合理的だっただけで、それでも、あの一家と溶け込むにしても、私は聡明であることを求められ、それが理解され、伝わったから居場所が作れたわけで。それはそれで最終日まで戦いだった。, 人種差別や偏見って、ホントに存在するんだってことを思い知ったし、人種差別や偏見って、プライドと伝統と歴史を持つものがそれらを捨て無い限り、永遠に無くならない。, 「べき論」を振りかざして何とかしようとするよりも、その逆風を浴びながら、どう戦うか、打開していくしかない。, 私とパブに出かけることがなかったジェイの気持ちはわかる。私が浴びることになるものを、一緒に浴びることはない。, 国籍と言葉を振りかざして勝負にならない立場の差がある以上、そのルールで戦わなければ。, 日本だって、街でアルバイトしながら生計を立てつつ家族に仕送りもして、極貧生活を送りながら日々、技能習得に勤しむ東南アジアや中東の若者たちを、日本語で罵倒する心無い人達がいるのと変わらない。, そうやってマウント取る人って、日本なり日本人であることを振りかざしているだけが己の個の拠り所なだけで、それ外されちゃった時に、お前は何なんだ?となっちゃう世界を恐れているだけだ。, 米国で白人警察官が黒人青年を撃ち殺しただの撲殺しただのって人種差別を、海の向こうのこととして、「べき論」でやっぱりトランプはダメだ、だなんて。, コンビニでアルバイトしながら勉強している中国人留学生の店員に、タバコの銘柄を番号でなく銘柄の略称を小声で伝えて、そんな日本人でも理解できないことを、理解できなきゃあ罵倒する日本人の客が当たり前のように存在してて、割と多いって、それって政治で何とかできることなのか?って。, そういう見方。考え方になれとか、なれるために留学しろ、と言うつもりはなくて、物事は、多面的に見る必要があり、「郷に入れば郷に従え」を強いるには、日本は小さすぎるということに私は思い知らされた。, そんな、行動してみなきゃあ得られないような、何らかの気づきがあるかも知れない、ということ。, 実際に、日本というバックグラウンドに依存せずに、個として存在できるのか、という感覚。あくまでそれは例でしか無いけれども、己ととことん向き合う時間、期間があってもいいと思うね。, やっぱりそれでも、私が30年前に今のようなインターネットで情報飛び交う、情報得られる環境に置かれていたのなら、別にいつでも好きな時に好きなだけ情報取れるじゃん、と、行動する意義が見いだせない、と思ってたはずで。, オックスフォード大学に学んだ天皇陛下。ハーバード大学に学んだ皇后陛下。宮中晩餐会の主宰として、通訳を介さずに談笑なさるのが令和。, コロナ禍で、リモートワークでワークスタイルの劇的変化の途中、労使関係の劇的変化の途中、国境を意識しない交流とコラボレーションの模索中、それらによってますます求められる個。, 英国留学の思い出【その4】 | 50代おっさん初級ライダー@CRF250Rallyのブログ, HONDAのオフロードバイク2018年型CRF250RallyABSのオーナーになりました。インプレ、ツーリングを書いていきます。.